私が、「誰かのために社会のために役に立ちたい」と強く思ったきっかけは、間違いなく、母親「樺澤節子」の影響だと思う。
発足が1985年、このころは、私も小学生で、よく母親と図書館に出向き、母が絵本を子供たちに手話をいれて聞かせていた。
そのほか、障がい者施設にお手伝いにいくなど、子供の頃に自然と組み込まれていったのだと思う。
また、母親の母親、私の祖母である一二三富美子もまた、困っている人を見たら見捨てられない性分で、浪人時代は、祖母と二人で一緒に住んでいたのだが(この祖母は、がばいばあちゃんみたいな面白い人物なのだが)よく私の友達はごはんを食べさせてもらっていた。
また、母の姉、戸澤葉子(従兄 戸澤直也の母)もまた、猫が捨てられると勝手に拾ってきて、いつも20匹位の猫がいた家だったが家族は誰も反対しなかった。
そう、博愛の心は、子供の頃に培われたのである。
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